医師会の沿革
北都留医師会のあゆみ
明治34年、発令された県令に基づき、県下において郡医会の設立準備が行われていたという。
私どもの地域は‘南北都留郡’として南北合同の郡医会設立に準備を進めていたようであるが、地勢上の問題や開業医師の数の問題等からそれぞれ独立して医会を組織するにあたったと伝えられている。
‘北都留郡医会’の設立が認可されたのは、明治34年5月2日のことで、当時の医会会員は20名前後といわれ医会役員は以下の通りである。
会長 | 星野 玄仲 |
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副会長 | 加藤鐵之助 |
監事 | 小鷹愛武、坂本安太郎、牧野金太郎 |
評議員 | 平井圭斎、小泉景儀、篠原良和、島崎坦斎、水越鬼一郎、佐々木晋 |
代表者 | 高井猪三郎、黒部勇、岩本吉人 |
‘郡市医会’は山梨県警察部衛生課がその衝にあたり、郡市医会はその一つの単位として医師会・医学会・衛生会等の行務的内容まで含めて活動していたといわれている。
このような従来の郡市医会は、「省令医師会法」の時代に入り医事衛生行政の新たな転換を迎え、新たに郡市医師会を設立することとなったことで、現在馴染みのある“医師会”設立の運びとなった。
『北都留郡医師会』が設立の認可を県よりうけたのは、明治40年3月28日のことである。
その後、長い年月を経て『北都留医師会』と現状同様呼ばれるようになったのは、昭和35年のことである。
現在までの『北都留医師会』のあゆみは、長い年月と多くの方々の力によって築かれてきたもので、こちらに紹介できるのはほんのわずかでしかありません。ただ、現在に至るまでには大変多くの時間とお力がありましたことを少しでもお伝えできましたらとこのページをつくりました。また、これからの『北都留医師会』のために。。。
歴代の北都留医師会
会長紹介
(敬称略:山梨県医師会名簿より)
- 星野玄仲
- 加藤鉄之助
- 星野玄仲
- 岩本吉人
- 富田市五郎
- 細田賢作
- 高井猪三郎
- 黒部勇
- 水越鬼一郎
- 星野義寛
- 倉田庄太郎
- 橋本正人
- 照原珠
- 三浦子朗
- 小俣正義
- 島崎喜輔
- 今井金七郎
- 三浦子朗
- 小俣正義
- 小俣正義
- 小林盛信
- 坂本隆市
- 高山武士
- 高山武士
- 高山武士
- 長田壽徳
- 長田壽徳
- 長田壽徳
- 長田壽徳
- 長田壽徳
- 奈良博
- 奈良博
- 奈良博
- 奈良博
- 蜂須賀照明
- 川原端
- 小泉清一
- 小泉清一
- 鶴田恭尚
- 鶴田恭尚
- 黒田政喜
- 黒田政喜
- 渡辺剛
- 渡辺剛
- 黒部力夫
- 武者吉英
- 武者吉英
- 小俣二也
- 小俣二也
- 小俣二也
- 小俣二也
- 鈴木昌則
- 鈴木昌則
- 鈴木昌則
- 渡部一雄
- 渡部一雄
- 渡部一雄
- 渡部一雄
(1期2年を通常単位とする)
そして現在、『北都留医師会』は、大月市・上野原市の44名の会員で成り立っております。